鶴ヶ城

表門 天守閣の南にあり、扉が鉄で覆われていることから「鉄門」(くろがねもん)と呼ばれている。
戊辰戦争時には藩主・重臣達は敵の砲弾を避けるためここで指揮を執った。
御三階石垣台 阿弥陀寺に移築した御三階の石垣。

阿弥陀寺御三階
梨子園跡 戦争時には墓地になっていた。降伏後城を出る際に容保が花を捧げた。
古井戸 戦争時に戦死者の遺体が積み重ねられていた。
鐘撞堂 戊辰戦争ではここに西軍の砲火が集中して時守が相次いで斃れたにも関わらず、開城の時まで正確に時を告げ、味方の士気を大いに鼓舞した。
割場西南角番所押入れの柱 刀疵が残っている。現在は会津武家屋敷内に保存されている。
萱野国老殉節碑 戦争責任を一身に背負い自刃した萱野権兵衛の殉節碑。

阿弥陀寺萱野長修遥拝碑
天寧寺萱野権兵衛墓
遠藤敬止翁頌徳碑 旧会津藩士、実業家。
鳥羽伏見の戦いの際、会津軍に入り籠城戦にも参加。
敗戦後の幽囚生活の後、慶応義塾で経済学を学ぶ。
実業界に身を投じ仙台の七十七銀行頭取、仙台商工会議所初代会頭となる。
明治23年新政府によって鶴ヶ城が競売に付された時、私財をなげうって落札、松平家へと献上した。
城跡は後に松平家から若松市に売却され現在に至っている。
昭和46年敬止の徳を讃えて建立された。

充国寺遠藤敬止墓
佐川官兵衛顕彰碑 平成13年建立。三の丸跡に建つ。
西南戦争で佐川官兵衛が戦死した地である熊本県南阿蘇村より寄贈された石で建立された。

長福寺佐川官兵衛墓