清流寺不動堂

本堂 飯盛山自刃者で唯一蘇生した飯沼貞吉が戦後に匿われていた。
蘇生白虎隊士飯沼貞吉ゆかりの地 會津藩士飯沼貞吉(十六歳)白虎隊士中二番隊の一員として戊辰戦争に出陣するも西軍に敗れ、慶應四年(一八六八年)八月二十三日藩校日新館の教えに従い飯盛山にて藩友十九名と共に自刃す。しかし人々の厚い介護により奇しくも蘇生。塩川、喜多方を経て当地の不動堂に至り、暫し匿伏し傷を癒す。後に上京して貞雄と改名。逓信省にて日本全国の電信電話架設に尽力す。父方の叔母に「なよ竹の」を詠みし西郷千恵子、母方の従兄妹に山川浩、健次郎、大山捨松あり。
昭和六年(一九三一年)二月仙台に没す。
と記されている。

飯沼貞吉終焉之地
輪王寺飯沼貞雄墓
飯盛山飯沼貞雄墓