輪王寺
飯沼貞雄墓 | 飯沼時衛の次男。旧名貞吉。戊辰戦争では生年を偽って白虎士中二番隊に参加。 飯盛山では咽喉を突いたが急所を外してしまい人事不省のまま死にきれずにいた。その後、戦死者の所持品を狙う泥棒に飯盛山の南に並ぶ八ヶ森の南側山中に連れて行かれ刀を盗られたうえに動けない体を遺棄されてしまう。その頃、渡部佐平という百姓が、飯盛山の南に隣した袋山の岩屋に戦乱を避けていたが、薪木を取りに出てきて倒れている貞吉を発見。佐平を頼ってきていた足軽・印出新蔵の妻はつに連れられて塩川村の近江屋という宿屋までたどり着いた。 ここではつは、三本住庵という町医者に傷口を縫ってもらい薬をつけてやった。その後、落城までの期間、入田付村山中の不動堂に隠れ住んだ。 その後、貞吉は他の藩士達と共に謹慎。赦免後、名を貞雄と改めて静岡の林三郎塾に入り、明治5年に工部省の技術教場に入所して電信建築技師となった。 明治27、28年の日清戦争には歩兵大尉として出征、帰還後は再び逓信省に戻り、最後には仙台逓信管理局の初代公務部長を勤め、昭和6年2月12日仙台にて没。享年77歳。 飯盛山・飯沼貞雄墓 |