浮州七郎墓 | 庄之助弟。大鳥圭介軍参謀。 明治元年閏4月21日下野今市で戦死。31歳。 |
中村志記墓 | 10石3人扶持。玄武士中伊与田隊。 明治元年9月3日若松気多宮で戦死。54歳。 |
板橋某墓 | 詳細不詳。 2月5日没となっている。 |
池内重徳墓 | 詳細不詳。 |
多賀谷家3人墓 | 多賀谷勝左衛門・・・勝右衛門とも。勝之進の父。隠居組。 明治元年8月23日若松甲賀町口井上邸前で死。71歳。 多賀谷勝次郎・・・勝之進伯父。大砲士中一番小原隊嚮導。 明治元年8月23日若松城三ノ丸(天寧寺町口とも)で戦死。44歳。 多賀谷勝之進・・・450石。朱雀士中四番佐川隊小隊頭。 明治元年6月24日越後福井で戦死。20歳。 |
多賀谷家一家自刃墓 | 以下明治元年8月23日若松本二之丁の自邸で自害。 多賀谷マキ・・・勝之進祖母。 多賀谷シゲ・・・勝之進母。 多賀谷ヤス・・・勝之進叔母。 多賀谷キイ・・・勝之進叔母。 多賀谷リセ・・・勝之進叔母。 多賀谷政五郎・・・勝之進弟。12歳。 多賀谷五七郎・・・勝之進弟。7歳。 |
飯河光義墓 | 元治元年の蛤御門の変では二番槍の功をもって禄100石を給わり外様組付を仰せ付けられた。 明治9年思案橋事件の一味であった旧友の中根米七を自邸に匿ったが、結局は米七も逃れえぬことを観念し、明治11年8月熊倉村(喜多方市)の光明寺墓地内に入って自決した。 明治15年、旧藩士中條辰頼らと力を合せて私学校を創立、旧藩校の名に因んで日新館と称した。光義はここで教授となり子弟の教育に専念していたが、明治17年10月21日病をえて没した。享年60歳。 |
山田貢墓 | 100石、目付。 明治元年6月12日磐城白河古天神で戦死。31歳。 殉難者名鑑では山寺貢となっている。 |
志賀勘兵衛墓 | 孫太郎父。100石。青龍士中一番鈴木隊。 明治元年5月1日磐城白河で戦死。48歳。 |
笹沼金六墓 | 金兵衛弟。遊撃遠山隊差図役。 明治元年閏4月25日磐城白河で戦死。32歳。 常宣寺・笹沼金六墓 |
坂本宇兵衛墓 | 550石。大砲二番小隊頭。 明治元年5月26日磐城白河金勝寺山で傷、7月9日死。27歳。 室町幕府将軍・足利氏の末裔である。 |
山室鉄三郎墓 | 卯之助の子。別撰佐川隊。 明治元年1月5日鳥羽で戦死。28歳。京都黒谷に墓。 |
竹崎郷助墓 | 100石。用所密事。 明治元年8月29日若松長命寺で戦死。51歳。 |
斎藤八郎、八三郎墓 | 斎藤八郎・・・13石3人扶持、目付席。進撃小室隊。 明治元年8月29日若松長命寺で傷、城内で死。53歳。 斎藤八三郎・・・八郎伜。朱雀寄合一番一柳隊。 明治元年5月1日磐城白河で戦死。19歳。 |
西川半之丞墓 | 300石、物頭。勝太郎父。一刀流の達人として名があった。 |
伊藤光隆墓 | 「慶応戊辰年八月二十三日」 「此君戸ノ口原而戦死 葬彼地 行年二十歳」 とあるが、殉難者名鑑には見当たらない。 |
上崎且馬墓 | 清助養子。100石。桑名藩軍目付。 明治元年8月23日若松蚕養口で戦死。52歳。 |
木本内蔵丞墓 | 400石。青龍士中一番隊中隊頭。 明治元年8月27日若松新橋で傷、28日(29日とも)城内で死。38歳。 |
和田伝蔵墓 | 250石、幌役、供番頭打込。進撃小室隊組頭。 明治元年8月23日若松天神口で戦死。40歳。 |
和田甚吾墓 | 100石、御供番。 明治19年3月12日没。 |
和田ミワ、ナカ、コマ墓 | 以下、明治元年8月23日、本三之丁の自宅で自刃。 和田ミワ・・・甚吾の継母。41歳。 和田ナカ・・・甚吾の妻。20歳。 和田コマ・・・甚吾の娘。3歳。 姑のミワは一旦危急に迫らば女子といえども恥辱を受けるべからずと、8月23日、家僕に対して暇を出した。同日、たまたま隣家の佐藤、諏訪両家の婦人らが訪ねてきて、ともに難を避けるようにと勧めた。しかしミワは他事にことよせてこれを断り、男装して自邸の門前に出てみたが、事態の急なるを見てとり3人して一室に端座、互いに水盃を交わして城を拝し、自邸に火を放つと自刃した。 戦後、甚吾の父勇蔵は自宅の焼け跡に至り、灰炉の中から白骨と懐剣を発見、妻や嫁の自刃したを知り、遺骨を拾い集めると大窪山に葬った。 また甚吾は母や妻の自刃之図を画かせ、その顚末を記して子孫に伝えたという。 |
田代仙太郎墓 | 詳細不詳。 |
小川隆寛墓 | 3月16日。 殉難者名鑑には見当たらない。 |
鈴木秀幸墓 | 鈴木姓で8月27日没であり、鈴木義衛だと思われる。 13石2人扶持、独礼、徒目。 明治元年8月27日(24日とも)若松城で戦死。31歳。 |
赤羽某墓 | 赤羽姓で5月1日没であり、赤羽衛門か赤羽源六のどちらかと思われる。 赤羽衛門・・・直次郎兄。250石。朱雀寄合一番隊小隊頭。 明治元年5月1日磐城白河で戦死。29歳。 赤羽源六・・・源兵衛次男。朱雀士中一番小森隊。 明治元年5月1日磐城白河で戦死。20歳。 |
野中勇助墓 | 詳細不詳。 |
荒木重義墓 | 詳細不詳。11月10日。 |
清水某墓 | 詳細不詳。 7月24日没で、清水氏の墓域にあるが、殉難者名鑑に該当する名前は見当たらない。 |
諏訪某墓 | 詳細不詳。2月15日。 |
諏訪某墓 | 詳細不詳。3月20日。 |