諏方神社
諏方神社 | 9月14日から若松城総攻撃を実施した西軍は、これと同時に諏方神社付近の会津兵を撃退し、併せて会津兵が確保している桂林寺町口から西の融通寺町口・川原町口、花畑口の外郭門を奪取する作戦が実施された。 なかでも諏方神社付近の攻撃は正面からは外濠があって進めないため佐土原藩砲兵が援助し岡山藩兵も融通寺町口から諏方神社に攻撃をかけた。そのうえ長州・大垣の一隊を大町口から出撃させたので諏方神社の背後を突く結果になり、側背から攻撃を受けた会津兵の一部は左右に退却、小山田伝四郎隊のみが諏方神社に残って立てこもったが、桂林寺町口から長州・大垣兵が突入したので小山田隊もたまらず退却した。それが融通寺町郭口、川原町口にも波及し会津兵は総崩れとなり、この方面の指揮をとっていた田中源之進までが城中に退却を余儀なくされた。 鳥居には当時の弾痕が残っている。 |
野矢常方顕彰碑 | 昭和62年に戊辰戦争120周年を記念して建立された。 大窪山墓地・野矢常方墓 大運寺・野矢常方翁拝石 |