慈光寺
縣信緝墓 | 宇都宮藩。家老。 文政6年(1823)、宇都宮藩家老の家に生まれた。 21歳の時、脱藩して江戸の儒者大橋訥菴の塾で学ぶ。 安政3年(1856)帰郷して勘定奉行雇となり、頭角を現す。 尊皇攘夷の立場から坂下門外の変で連累者の赦免活動、山陵修補事業の推進、天狗党への応対に関わり、時には家老職解任の憂き目にもあった。 戊辰戦争時には藩論を新政府支持でまとめ、落城後は奪回と領民救済に奔走した。 維新後は宇都宮藩権大参事、司法省少判事を歴任。 明治14年没。 |
斎田権兵衛墓 | 宇都宮藩。武具奉行。 明治元年6月26日下野藤原村で戦死。46歳。 報恩寺の「官軍七首級墓」にも祀られている。 |
安形靱負太郎墓 | 宇都宮藩。半兵衛の長男。 明治元年6月26日下野藤原村で戦死。18歳。 |
彦坂孝次郎墓 | 宇都宮藩。孝二郎とも。 明治元年8月30日会津倉谷村で戦死。22歳。 |
大沢富三郎墓 | 宇都宮藩。 明治元年9月1日会津大内峠で戦死。42歳。 大内・戦死二十四人墓 |
間瀬半八郎墓 | 宇都宮藩。 明治元年9月1日会津大内峠で傷、4日死。29歳。 |
藤代信蔵墓 | 宇都宮藩。星野姓も。 明治元年9月2日会津関山村で戦死。18歳。 |
内田銀太郎墓 | 宇都宮藩。 明治元年9月2日会津火玉峠で傷、26日死。41歳。 当初は林松寺にあったが、改葬された。 墓誌には明治3年9月2日と刻まれている。 |