示現寺
瓜生岩子墓 | 戊辰戦争の際、目の前で傷に苦しんでいる人を捨ておけず、敵味方の区別無く負傷者の救援活動を行なった。また、飢えた人には粥をふるまい、家を失った人にも救いの手を差し伸べた。 戦後、戦災孤児となった子供たちのために幼学校を設立すべく奔走し、その熱意に折れた民政局が小田付に幼学校を開設することを許可、明治2年に実現している。 その後もイワの貧困者や孤児に対する救援活動はやむことが無く、明治19年には福島長楽寺住職の依頼で福島に移住、堕胎防止や行旅病者の収容保護、貧困家庭児童の救助などに取組み、明治21年の磐梯山噴火の際には死傷者の慰霊・救済、罹災者の救援活動に奔走、明治22年には長年設立を請願していた孤児や貧しい人を収容する施設「福島救育所」の開設を実現させた。 明治30年没。69歳。 長楽寺・瓜生岩子之像 北町公園・瓜生岩子刀自生誕之地 長福寺・瓜生岩子刀自裁縫教授所跡 |
瓜生岩子之像 | |