長命寺

戦死墓 戊辰戦後、長命寺の住職が無残な遺骸を見かね、密かにこれを集め埋葬した。
その後、阿弥陀寺に埋葬することになり、長命寺の遺体も改葬するよう指示が出たが、住職は頑として応じず、結局会津藩士の遺体は阿弥陀寺と長命寺に葬られることになった。
阿弥陀寺の1280柱に対して、145柱の遺体が葬られている。
鈴木三郎、五郎墓 鈴木三郎・・・7石2人扶持。朱雀寄合一番一柳隊。明治元年8月23日若松城下で戦死。

戸ノ口原鈴木三郎墓


鈴木五郎・・・清吾五男。年割。白虎寄合一番隊。
明治元年9月15日会津一ノ堰で傷、11月雨屋で死。16歳。

飯盛山鈴木五郎墓
常金寺鈴木五郎墓
南無阿弥陀仏  
長命寺戊辰戦懐古  
長命寺土塀 戦後、長命寺の土塀として弾痕も生々しく残されていたが、近年改修されて新しい壁にレプリカの弾痕が埋め込まれている。