米沢城
招魂碑 | 戊辰戦争で主に新潟方面で西軍と激戦の末に戦死した米沢藩士280余名と、西南戦争の戦死者52名を慰霊するために、明治11年4月に建てられた。その後、日清・日露戦争で戦死した将兵の霊も合祀されている。 この場所は米沢城本丸の東南隅にあたり、藩祖上杉謙信の遺骸を安置した御堂があったところである。 碑名は戊辰戦争に従軍して参謀を努めた斎藤篤信(後の山形県師範学校初代校長)が、稲穂の芯を束ねた特製の大筆で書いたものである。 |
![]() |
|
色部長門追念碑 | 米沢藩。1666石。家老格。 明治元年5月藩軍総督として新潟に拠り、7月29日西軍の攻撃に寄居浜金鉢山で自刃。44歳。 昭和34年米沢市の市制70周年記念事業の一環として色部の武勇をたたえ、その大恩に報いるため色部長門顕彰会が追念碑建立を提唱、同年8月建立をみたものである。 千眼寺・色部長門墓 |
![]() |