長福寺

明治戊辰梁田役東軍戦死者追弔碑 花崗岩製の台の上に建てられた、点紋粘岩板製の石碑。
裏面には「大正十三年九月 従軍衝鋒隊士 従四位勲三等内田万次郎建之」とあり、さらに尽力者「真下菊五郎」「川島為龍」「齋藤元次郎」「中山金太郎」「塚越米太郎」の五名が刻まれている。
梁田戦争は慶応四年(一八六八)三月、例幣使街道梁田宿でおこった旧幕府軍と官軍との戦いである。
内田万次郎は幕府軍として父と共に参戦し、その後も五稜郭の戦いまで各地を転戦した。戦後、大蔵省印刷局に奉職し、退職後碑を建立した。
戊辰戦争慰霊碑や墓碑において、幕府軍の名を刻んだものが少ない中、「東軍」と幕府軍であることを刻む当碑の歴史的価値は高い。

平成17年3月24日に足利市重要文化財に指定。
※案内板の文章そのまま転載。
梁田戦争戦死塚 慶応四年(一八六八)三月九日未明のいわゆる梁田戦争に倒れた幕軍戦死者の墓である。
表面に 戦死塚
裏面に 慶応四戊辰年三月九日
      戦死六十四人此地埋 梁田宿
と行書をもって陰刻してある。
梁田戦争の直後村民の手により渡良瀬河原に合葬し墓碑を建てたが、その後河流の変遷のため、明治四十三年に星宮神社傍に碑を移し、遺骨は現在地に改葬、昭和六年に碑も現在地に移して今日に至っている。

昭和43年9月19日に足利市重要文化財に指定。
※案内板の文章そのまま転載。