阿弥陀寺

明治戊辰戦死供養塔 塩川村の赤城源右衛門が寄進。
星研堂墓 書家。会津藩士。父は俊蔵清猷。母は川手氏。若松城下に生まれる。通称は俊吾。名は孚。猷訓。
文政2年、家督相続。書を内田近明、加須屋時鳴に学ぶ。祐筆と日新館の瀧本流華様の師範を兼ね、『草書格』を著す。
戊辰の役には山三郷方面へ出陣。赤岩村で孫の万吾を介錯したと伝えられる。
戦後は塩川村で子弟を教育。明治2年12月25日旧代官所で没。76歳。
法名は宝樹院光誉研堂清居士。
星精蔵、万吾墓 星精蔵・・・俊吾伜。27石4人扶持。朱雀士中二番小野田中隊。
明治元年8月29日若松長命寺で戦死。34歳。

星万吾・・・精蔵の誠信伜。明治元年9月4日会津山三郷赤岩村で自刃。祖父俊吾介錯。12歳。
倉沢某墓 旧藩士。明治2年没。
鈴木某墓 旧藩士。明治2年没。
中澤友直墓 旧藩士。詳細不詳。
三本住庵墓 塩川の町医者。
飯盛山で自刃し瀕死の重傷を負った飯沼貞吉を介抱した。明治24年没。