清浄光院
星恂太郎墓 | 仙台藩。額兵隊隊長。歩兵頭並。 天保11年10月4日、東照宮宮司の子として生まれる。 はじめは過激な尊皇攘夷派であり、開国論者の大槻磐渓の暗殺を図るも失敗。続いて開国を推進していた家老の但木土佐の暗殺を企てるが、逆に世界情勢の無知さを諭されてしまう。その後、大槻磐渓に話を聞きに行き、自分の無知さを恥じて脱藩する。 江戸に出て洋式の銃隊編成訓練を、横浜で西洋軍学を学び、慶応4年仙台に帰国すると藩主伊達慶邦から才能を認められて大番士に任命され、洋式軍隊である額兵隊を組織する。 戊辰戦争では仙台藩の降伏後、慶邦の説得を無視して西軍が仙台に入ると、額兵隊を率いて蝦夷へ逃れ、箱館戦争で奮戦した。 戦後、捕らえられ弘前藩に幽閉された。その後、罪を許されて開拓使大主典となる。 明治9年7月27日没。享年37歳。 |
星恂太郎碑 | |