龍雲院

細谷十太夫墓 仙台藩。偵察方として諸藩の情報収集にあたった。
戊辰戦争では、須賀川で東北地方の大親分を含むヤクザを束ねて「衝撃隊」を結成した。
衝撃隊は黒装束に長脇差一本で西軍に夜襲攻撃を敢行し、西軍を恐怖のどん底に陥れた。衝撃隊の西軍への夜襲は30数回に及びその全てに勝利した。
細谷が黒装束の上に着用していた半てんの背中にカラスの文様が描かれていたことと、衝撃隊が黒装束をまとっていたことから西軍から「鴉組」と呼ばれ大いに恐れられた。
敗戦後、細谷は仙台藩から大金をを授かり、それを衝撃隊の兵士たちに分け与え、隊を解散すると自らは新政府の追手を逃れて、逃亡・潜伏した。
その後、戊辰戦争の大赦令が発令されると、かつての部下を率いて宮城県と北海道の開拓に尽力した。さらに日清戦争で陸軍少尉となり、中国に渡って活躍した。帰国後警視庁小隊長となる。
こののち仙台に戻り、龍雲院に葬られている仙台藩士林子平を慕い、僧となって龍雲院の住職となった。
明治40年5月6日没。享年68歳。