大壇口古戦場
木村銃太郎戦死之地 | 二本松藩。砲術師範貫治の長男。4人扶持、広間番、大砲方。 少年隊隊長として勇戦。 明治元年7月29日二本松大壇で戦死。22歳。 正慶寺・木村銃太郎墓 大隣寺・木村銃太郎墓 |
少年隊奮戦記念碑 | 明治元年7月28日、木村銃太郎率いる少年隊25名は大砲を用意し大壇口へ出陣した。 翌29日、西軍は目前に迫り、銃太郎は敵を十分に引き付けさせ発砲を命じる。 砲弾は敵の頭上で炸裂し、敵を混乱に陥れるが、西軍に徐々に押し返され、ついに死傷者が出始めると、銃太郎は退却を命じるが銃太郎が敵弾を腰に受け、副隊長の二階堂衛守が介錯し退却した。 |
二勇士戦死之地 | 二本松藩士の青山助之丞と山岡栄治が、城下侵入のため隊伍を組んで城下に向かって進んで来た薩摩兵に斬り込み、9人程を斬り倒し一時は全軍を後退させるほどの混乱に陥れたが、衆寡敵せず壮絶な戦死を遂げた。 明治31年に野津道貫大将が当時の回想を語ったことにより初めて知られるところとなった。 付近を往来していた農民達の話では、山岡は袈裟切で、青山は銃弾で戦死したとの話が残されている。 青山助之丞・・・半蔵の弟。木村銃太郎手大砲方。 明治元年7月29日二本松大壇一文字石で戦死。21歳。 山岡栄治・・・治郎太夫長男。5人扶持。 明治元年7月29日二本松城郭外で戦死。26歳。 |