小田山

西軍砲陣跡 8月26日、西軍は小田山の地形が戦略上すぐれていることを城下極楽寺の僧の内通により知り、小田山に陣を張り、直線距離で僅か1.6kmの鶴ヶ城へ昼夜を問わず落城までの1ヶ月間佐賀藩のアームストロング砲による砲撃を続けた。
戦後、極楽寺の僧の裏切りを知った武田宗三郎は越後高田の謹慎所から密かに脱走し若松に舞い戻り、かの極楽寺の僧を斬って藩士一同の恨みを晴らしたが、捕縛され処刑された。享年20歳。
砲陣跡より望む鶴ヶ城  
観音堂跡 戊辰戦争で消失した。