七宮神社

相馬誠胤公 中村藩13代藩主。
相馬充胤の次男。慶応元年、父の隠居により家督を相続する。
戊辰戦争では、鳥羽伏見の戦いにおける旧幕府軍の敗北を受けて家老を上洛させる。その後、奥羽越列藩同盟に参加するが、降伏し謹慎する。
明治2年、中村藩知事になる。明治4年、廃藩置県により、知事免職となる。
明治12年4月14日、親族らは精神的な病気を理由に宮内省に誠胤の自宅監禁を願い、翌日許可される。これに対し明治16年12月10日、旧中村藩士錦織剛清は、財産横領をはかる異母弟・相馬順胤らの不当な監禁であるとして、誠胤の開放などを申し入れた。いわゆる相馬事件である。
明治25年2月22日、訴訟の泥沼化する中で誠胤は死去した。享年39歳。