弥勒寺

広沢安任墓 江戸昌平黌に学ぶ。
文久年間は藩主容保に従い京都に上り、公武の間を周旋する。
戊辰戦争に際しては容保が会津に帰った後も江戸にとどまり新政府に藩主の赤心を訴え続けて獄に投じられた。のち、赦されて斗南藩少参事、廃藩後は谷地頭に洋式牧場を開き、わが国の畜産界に貢献した。
明治24年2月5日没。