小原沢

殉難碑 明治元年6月26日の藤原の戦いで戦死した西軍・東軍双方の兵士を供養した碑。

小原沢を守る大鳥圭介等伝習隊、草風隊を佐賀藩兵、宇都宮藩兵が攻撃、しかし逆襲にあい宇都宮藩家老長男安形靱負太郎や7名の戦死者を出して敗走。大鳥軍は草風隊長村上求馬ら3名が戦死。

田辺昇吉『日光山麓の戦』で戦死者が判明したことを機に、昭和56年6月、激戦地小原沢に建碑された。
東軍10名(うち軍夫など姓名なし5名)、西軍(宇都宮藩9名・佐賀藩17名うち姓名なし5名)が裏面に刻名されている。
弾除けの松 小原沢決戦の際に、会津藩兵は和田沼(鬼怒川右岸)の佐賀藩陣地から発射されたアームストロング砲の榴弾から、この松に身を隠して難を逃れたとの言い伝えがある。
この大松(推定樹齢400年)は平成8年7月の突風により倒れ、横に二代目の松が植えられている。