城国寺
遠藤文七郎墓 | 仙台藩。宿老。2000石。栗原郡川口村邑主。 安政元年、家督を継いで藩主・伊達慶邦に仕える。 文七郎は性格が短慮な上、気性が激しかったと言われ、文久2年に上洛すると尊皇攘夷派に共感を覚え、帰国すると藩論を尊皇攘夷でまとめ上げようとする。 ところが、同じく重臣の但木土佐は佐幕派であり、尊皇攘夷に反対して対立する。 文七郎は但木との政争に敗れて閉門の処分を受けた。 戦後は罪を許されて奉行に復帰し、仙台藩の戦後処理や、版籍奉還に貢献した。 明治32年4月20日没。享年64歳。 |