本光寺

長岡藩士殉節之碑 明治元年9月8日未明、長岡藩隊長、山本帯刀他43名が会津藩士400余人と協力し一旦西軍を潰走させた。しかし濃霧のため飯寺河原に於いて孤立。敵の重囲に陥り全員戦死を遂げた。
西軍の将は帯刀の人物を惜しんで降伏を勧めたが、帯刀は断固拒否。斬首を請い斬首された。
帯刀は、自分達を捕えた宇都宮藩士戸田三男の人柄に惚れたのか、所持している200両の軍資金を手渡した。戸田ら宇都宮藩士7人は、その金を宇都宮に持ち帰り、明治7年に近隣住民の協力を得て、東軍戦死者の墓碑を建てた。

六道口戊辰之役戦士墓
長岡藩士殉節之墓  
無縁戦死供養 飯寺で戦死した長岡藩士44名の名が刻まれている

長岡藩戦死者44名
河瀬重次郎墓 会津藩。幌役。
明治元年8月29日若松融通寺町で傷、御山で死。
島影新兵衛墓 詳細不詳。