藤原観音堂

幕軍無名戦士の墓 明治2年3月25日の宮古湾海戦後、藤原須賀に幕軍軍人の首なし死体が流れ着いた。
藤原の人大井要右衛門は「仏に官軍も幕軍もない」と手厚く埋葬した。
後、七回忌に同じ藤原の人岩船豊吉がこの墓を建立供養した。
無名戦士の名は回天士官大塚浪次郎とか、新撰組隊士野村利三郎(土方歳三介添役)ともいわれる。